職業の大変動期
まず、「職業とは何か」ということをあらためて考えたいと思います。おふたりが子どもの頃なりたかった職業は何ですか。
谷
子どもの頃は、野口英世やシュバイツァーの偉人伝を読んで、漠然とお医者さんっていいなと思っていた時期があります。
玄田
プロ野球選手でしたね。まわりもみんなそうだった。今思うと野球選手が多かったのは、実力を知るほどの情報がなかったからでしょうね。情報がないっていうのは幸せなことでもある。うぬぼれたりできるんですよ、情報がないと。
今は情報がありすぎて目移りしたり、あるいは欠点が目についたりする。
玄田
あと、あきらめやすくもなるでしょう。だから2000年代くらいからずっと、若い人はしんどいだろうなと思ってた。情報がある社会ってバカになりにくいでしょ。そういう意味では、自分たちは幸せな子どもだったなと。
谷
2020年の国勢調査では、仕事を約230の「職業」に分類して集計するそうです※2。YouTuberはどこに分類されるのだろうというようなことを思いながら総務省のウェブサイトを見てみたのですが、平成27年版の「職業分類」にはYouTuberもUber Eatsの配達員もなかった。職業も、職業に就くことそれ自体に関する気持ちも、大変動の時代が来ているなと思っているところです。
玄田
「あなたの職業は何ですか?」と聞かれると、はたと考えてしまいますね。「私は〇〇です」と職業名を言える人のほうが幸せなのか。天職は英語でcallingとも言いますね。自分の仕事を天職だと言っている人は幸せそうですが、つかめるかわからない天職を自分から探しにいくべきものなのだろうか。高校生や大学生と将来の話をすると「やりたいことがない」という人が多い。でも自分の適性なんて自分ではわからないし、やりたいものがないことが不幸だということでもない。悩みながら探しつづけたほうが、最終的には本当に自分のやりたいことに出会えたりするのではないかと思います。
「苦楽(くるたの)しい仕事」に早めに出会う
玄田
遠藤周作さんの言葉で、仕事はつきつめると3つしかないという話が好きです。1つ目が「苦しい仕事・しんどい仕事」。毎日つらいなあっていう仕事で、これはみんなやりたくない。2つ目は「楽しい仕事」なんだけど、これがあんまりよくない。なぜかというと、楽しい仕事ってじきに飽きるから。テーマパークだってたまに行くから楽しいわけで、楽しいっていう感覚ってそう続かない。では何が一番いい仕事かっていうと3つ目の「苦楽(くるたの)しい仕事」だっていう。
くるたのしい。いい表現ですね。
玄田
そう「苦しいけど楽しい」で、くるたのしい。「しんどいなあ、つらいなあ、なんでこんなつらいんだろう?」と思うけど、ごくたまに「やっててよかったなあ」とか「またこういう快感が得られたらいいな」とか、そういう楽しみみたいなものが感じられる仕事。案外幸せなのは、そういう仕事に出会えてるということなのかな、と。
谷
僕は一言で言うと電通でたまたまやってたことが、苦しかったけど楽しかった。
玄田
どういう時が、苦しいけど特に楽しいって感じた瞬間だったんですか。
谷
伊丹十三さんとCMの仕事をしたことがあって、ちょうど伊丹さんが映画『お葬式』を監督・制作された頃です。伊丹さんは、CMもこちらが企画したとおり演じてくれることはほとんどなくて、交渉というか駆け引きで、それはもうしごかれました。でも、そのうちにかわいがってもらえるようになって、その後も伊丹さんが亡くなるまでお付き合いいただきました。
玄田
そういう体験は貴重な宝物ですよね。何年目くらいの時だったんですか。
玄田
5年くらい何かひとつのことをやれるのは幸せですよ。1年とか半年で何かをつかむって難しい。石の上にも三年と言うように、3年とか5年という時間があったら、失敗もできますし。
谷
感謝しているのは社会人になりたての頃そういう体験ができたこと。それが最初にできたから、そのあとしんどくてもまあいいかって思えた部分もあります。
玄田
ずっと「希望」の研究をしてるのですが、仕事に希望を持って取り組んでいる人は比較的入社して数年の間に、挫折とかすごいしんどい思いをしている人のほうが多いんです。それで、いろんな人に助けてもらうとか、偶然も味方するとか、なんとかくぐり抜けてきた人のほうが、その後の仕事にも希望を失わずにいられる。幸い最初の時にそういう大きな挫折がなかった人もいるんだけど、そういう人は後からしんどくなってくるんじゃないかな。