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村田晶子氏・森脇健介氏・矢内琴江氏・弓削尚子氏
ジェンダーに関する身近な問題に気づくには
ジェンダーに関する身近な問題に気づくには
まず、「職業とは何か」ということをあらためて考えたいと思います。おふたりが子どもの頃なりたかった職業は何ですか。
谷
子どもの頃は、野口英世やシュバイツァーの偉人伝を読んで、漠然とお医者さんっていいなと思っていた時期があります。
玄田
プロ野球選手でしたね。まわりもみんなそうだった。今思うと野球選手が多かったのは、実力を知るほどの情報がなかったからでしょうね。情報がないっていうのは幸せなことでもある。うぬぼれたりできるんですよ、情報がないと。
今は情報がありすぎて目移りしたり、あるいは欠点が目についたりする。
玄田
あと、あきらめやすくもなるでしょう。だから2000年代くらいからずっと、若い人はしんどいだろうなと思ってた。情報がある社会ってバカになりにくいでしょ。そういう意味では、自分たちは幸せな子どもだったなと。
谷
2020年の国勢調査では、仕事を約230の「職業」に分類して集計するそうです※2。YouTuberはどこに分類されるのだろうというようなことを思いながら総務省のウェブサイトを見てみたのですが、平成27年版の「職業分類」にはYouTuberもUber Eatsの配達員もなかった。職業も、職業に就くことそれ自体に関する気持ちも、大変動の時代が来ているなと思っているところです。
玄田
「あなたの職業は何ですか?」と聞かれると、はたと考えてしまいますね。「私は〇〇です」と職業名を言える人のほうが幸せなのか。天職は英語でcallingとも言いますね。自分の仕事を天職だと言っている人は幸せそうですが、つかめるかわからない天職を自分から探しにいくべきものなのだろうか。高校生や大学生と将来の話をすると「やりたいことがない」という人が多い。でも自分の適性なんて自分ではわからないし、やりたいものがないことが不幸だということでもない。悩みながら探しつづけたほうが、最終的には本当に自分のやりたいことに出会えたりするのではないかと思います。
玄田
遠藤周作さんの言葉で、仕事はつきつめると3つしかないという話が好きです。1つ目が「苦しい仕事・しんどい仕事」。毎日つらいなあっていう仕事で、これはみんなやりたくない。2つ目は「楽しい仕事」なんだけど、これがあんまりよくない。なぜかというと、楽しい仕事ってじきに飽きるから。テーマパークだってたまに行くから楽しいわけで、楽しいっていう感覚ってそう続かない。では何が一番いい仕事かっていうと3つ目の「苦楽(くるたの)しい仕事」だっていう。
くるたのしい。いい表現ですね。
玄田
そう「苦しいけど楽しい」で、くるたのしい。「しんどいなあ、つらいなあ、なんでこんなつらいんだろう?」と思うけど、ごくたまに「やっててよかったなあ」とか「またこういう快感が得られたらいいな」とか、そういう楽しみみたいなものが感じられる仕事。案外幸せなのは、そういう仕事に出会えてるということなのかな、と。
谷
僕は一言で言うと電通でたまたまやってたことが、苦しかったけど楽しかった。
玄田
どういう時が、苦しいけど特に楽しいって感じた瞬間だったんですか。
谷
伊丹十三さんとCMの仕事をしたことがあって、ちょうど伊丹さんが映画『お葬式』を監督・制作された頃です。伊丹さんは、CMもこちらが企画したとおり演じてくれることはほとんどなくて、交渉というか駆け引きで、それはもうしごかれました。でも、そのうちにかわいがってもらえるようになって、その後も伊丹さんが亡くなるまでお付き合いいただきました。
玄田
そういう体験は貴重な宝物ですよね。何年目くらいの時だったんですか。
谷
会社に入って2年目から6、7年目の間ですね。
玄田
5年くらい何かひとつのことをやれるのは幸せですよ。1年とか半年で何かをつかむって難しい。石の上にも三年と言うように、3年とか5年という時間があったら、失敗もできますし。
谷
感謝しているのは社会人になりたての頃そういう体験ができたこと。それが最初にできたから、そのあとしんどくてもまあいいかって思えた部分もあります。
玄田
ずっと「希望」の研究をしてるのですが、仕事に希望を持って取り組んでいる人は比較的入社して数年の間に、挫折とかすごいしんどい思いをしている人のほうが多いんです。それで、いろんな人に助けてもらうとか、偶然も味方するとか、なんとかくぐり抜けてきた人のほうが、その後の仕事にも希望を失わずにいられる。幸い最初の時にそういう大きな挫折がなかった人もいるんだけど、そういう人は後からしんどくなってくるんじゃないかな。
たまたま最初に入ったところがよかったという人もいれば、あまりよくなかったという人もいると思います。転職は、昔はよくないイメージだったかもしれませんが、今は若い人にとって選択肢のひとつになってきているのではと思います。
谷
私が入社した頃は転職専門の求人雑誌が出はじめて、転職の話題が世の中で大きくなってきていましたね※3。
転職して、いろいろ経験を積んで天職につながる。「転職は天職への道」かもしれませんね。
玄田
むしろ今はみんな安心や安定のほうを求めてるんじゃないですか、基本は。アメリカで仕事してきた人とか、特に自信のある人は転職を通じてステップアップとかキャリアアップしなきゃだめだと言うんでしょうけど。大多数の日本人はできればひとつの会社で、先ほど5年くらいはと言いましたが可能なら5年よりもっと長く、安心して働きたいんだと思いますよ。
なるほど。アメリカ人もストレスフルな生活でメンタルケアを必要としていると聞きます。ヨーロッパの若者も安定志向があり、安心感を担保するためにいろいろな仕組みが社会的にトライアルされているようですが、日本ではそういった仕組みが足りていないのかもしれません。人びとが求める安心のために、どのようなことに配慮すべきでしょう。
玄田
「安心」って何だろうって、リーマン・ショックと東日本大震災の時に強烈に思いました。だって今まで必死に頑張ってきたことが一瞬のうちにすべてなくなったりすることがあるわけでしょう。自分に責任があるわけじゃなくて、会社にも責任があるわけじゃなくて。今回のコロナもそうです。仕事をしてるとどうしようもないことってたくさんあります。運もあるし、自分の努力不足の時もあるんでしょうけど、こればっかりはもうどうしようもないことのなかでじたばたせざるを得ない。そうしているうちに思いがけず偶然の風も吹いてくるみたいなことが、仕事の醍醐味じゃないですか。「安心なんかそもそもない」って開き直ったほうがかえってラクですよ。それでもまだ不安だったら、今起こりうる最悪の状況をまずイメージして、できるだけのことはする。そして、あとはひたすら祈る(笑)。それでうまく防げたら、よかったよかったって言って次に進むというのが、これからの安心なのかなと思っています。
谷
わたしの子どもの頃、まわりは農家が多かったのですが、会社員はあこがれの職業でした。農家はコメが売れるまでお金が入ってこないのですが、会社員なら少なくとも毎月、給料がちゃんと入りますから。会社員は年金や健康保険、失業保険などの社会保障制度のかなりの部分を会社が背負ってくれているというところがあります。厳しい世の中になって、転職や自立を考えるようになった時にはじめて、会社が背負ってくれていたところの安心や保障の大きさに気づく人が多いのではないでしょうか。玄田先生がおっしゃった「安心」ということを聞いて、そんなことを強く感じました。
よく、職業欄の選択肢に「会社員」ってありますよね。会社員って職業ではないと思うんです。自助が大事だと言われていますが、会社に帰属していることがすべてになってしまい、会社員というレッテルをはがすと自分の職能がはっきり定義できない状況の人は、自助の準備なんてできていないと思いますよ。
玄田
谷さんがおっしゃるように、何かあったら会社が、とか、そうはいっても会社が、という思いがあって、安心の源が会社だった。公務員も同じです。公務員にさえなれば食いっぱぐれないとか、公務員になることが一番安心だという考え方が特に地方だとありました。でも公務員って今、一番しんどい仕事のひとつだと思いませんか。今回のような感染症の問題や災害がおこったら自分とか家族より優先して他人のために命かけなきゃいけない。しかも組織もどんどん変わっていってしまう。大変ですよ。
玄田
会社で女性が活躍するにはどうしたらよいか、女性のリーダーはどう育つかといったことを考える仕事に関わったことがあったのですが、その時ある人に言われたことで、「会社を上手に嫌いになることが大事」という言葉がありました。いいところは見るけど全面的にゆだねたりはしない、くらいな感覚でしょうか。これは女性に限らず、そういう感覚がこれからすごく大事じゃないかと思います。
谷
「苦楽(くるたの)しい」のもほどほどに、ということですね。
玄田
「苦楽(くるたの)しい」とか「上手に嫌いになる」とか、アンビバレントなことばっかり言っていますが、そもそも仕事や働くことの本質って、アンビバレントなものでしょう。希望の研究をしていてよく使う例があります。ある有名な会社で期待している女性の多くが辞めてしまったという。なんで辞めちゃうかを会社が調べてみたら理由は2つしかなかった。「先が見えないから辞める」と「先が見えちゃったから辞める」。先が見えなくて不安で辞める人がいて、一方でもうこんなものかと先が見えてしまったから辞める人がいて、両方希望がないという。「見えないなかでも何かが見えてきてる」とか「見えているようで何か大切なものがまだ見えてない気がする」とか、そういうところに本当は希望ややりがいがあると思う。あんまりどちらかにはっきりさせなくてはという思考にならないほうがいいという気がします。
日本では労働力人口の8割以上が雇用者※4なので、職業の話をすると企業や組織の話になりがちですが、自営業者の変化にも着目していきたいです。
玄田
日本の強みは自営業だと思っています。コロナショックの中でも毎月の統計を見る限り、自営業は頑張っている※5。
谷
電通は2021年1月から「ライフシフトプラットフォーム」という新しい試みをスタートします。早期退職という形で会社を辞めた社員が、グループの中に作る新しい会社「ニューホライズンコレクティブ合同会社」と業務委託契約をして、個人事業主として働くという仕組みです。新自営業者が200人以上誕生します。全職種の40代以上を対象として社内で募集したところ、50代の応募も多かったようです。
玄田
それは面白いですね。1998年に実施された調査を分析した時には、経験を積んでスキルも身につけて、40歳くらいで自営業にチャレンジする人が成功しやすい感じがデータを見ると出ていたのですが、寿命も伸びていますからね。経験を積んだり、脂がのったりしてるのは50代という感覚なのかもしれません。
谷
事業主として行う仕事は、必ずしも広告周辺ビジネスではないとも聞いています。
玄田
たぶんその人たちの多くは「最悪の状況」も想像できているんでしょう。これから自分は何年生きるかわからないけれども、まあこのくらいの貯金と人間関係があればなんとかなる、と。数十年の経験があって、ある程度最悪の状況が想定できるから、新しいことにチャレンジできる。情報がない幸せという話もしたけれどそれとは逆で、情報があるから最悪の状況を自分なりに想像できて、新しいことにチャレンジできる。それが流れになるといいですね。
個人事業主になる社員のうち私の知っている二人は、学び直しで医療のことを勉強して次を考えたいという人と、これから地域が面白くなるので、地域で人とコミュニケーションするような仕事をしたいという人でした。
玄田
2021年4月から、70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務とする改正高年齢者雇用安定法が適用されます※6。65歳からの働き方の中で、従来の雇用形態だけじゃなくて、例えば電通がやるという委託業務契約のような選択肢も生まれて、一歩一歩、新しい時代に向かってはいるんだと思う。65歳からの就業継続…そう「雇用」の継続じゃなく、これからは「就業」の継続なんだから。そういう時代にどういうことが大事かというと、まさに今言われた、自分がやりたいことがあるということが大事だと思います。医療をやりたいとか、この地域でやってみたいとか、じかにお客さんとふれあいたいとか。でもうまくいかないこともたくさんある。運が悪いことだって当然ある。その時まあこんなくらいだったら笑ってやれるかってことがとっても大事だと思います。そしてそれは暗いことではないんですよ。そういう人が増えていく世の中って。
「雇用ではなく就業の継続という意識」や「自分のやりたいことがある」。そういったことがこれから求められる「自営力」を養うために大切ということですね。
玄田
レヴィ=ストロース※7という人類学者が言ったことで、エンジニアリングとブリコラージュという話があります。エンジニアリングは、目標に向けて段取り組んで計画して事後処理してまた計画して…というもの。でもそんなうまくいくことないですよね。だいたい途中で思いがけないことがあってプランどおりいかない。ブリコラージュはその反対で、先のこともよく見えないなかで、あるものでなんとかやりくりするという感覚に近い。レヴィ=ストロースはその両方があることが大事だと。なんとなくこれまではエンジニアリングが優先だったでしょう。学校の勉強もエンジニアリング。でも仕事って、エンジニアリングのようにはいかないじゃないですか。
谷
エンジニアリングかブリコラージュかについては向き不向きもあると思います。製造業の大きなアセンブリー工場のラインでは、ものすごく規律に従ったチームワークで仕事をしている。同じ会社のホワイトカラーの社員が工場研修に行くと「自分にはとても無理だ」と思うこともあるようです。また、期間工という制度があり、期間限定で毎年働きに来る人のなかには、正規の社員よりも仕事の要領に明るい人もたくさんいます。その人たちが幸せでないかというとそうではないですし、何でもホワイトカラーの先入観で決め切っちゃいけないと思います。
社会全体でみると両方必要なのかもしれませんね。
玄田
よくないなと思うのは、人の仕事について「単純作業」「単純労働」なんて言ってしまうこと。ラインで部品を組み立てるような仕事を、ルーティンワークはマニュアルがあって誰でもできると言うけど、いざやってみると、いろんなトラブルが頻繁におきて、どうやって対処するとか日々考えている。ノーベル賞をもらうような研究者だって、何年間もひとつのことをやりつづけて、ある日出会った、たまたまの発見を見逃さなかったから花開いている。偶然が訪れるのだって単純労働しないと女神は微笑んでくれない。AIに取って代わられて単純労働はなくなると言っているのを聞くと、その思考そのものが単純なのではと言いたくなってしまう。
谷
同感です。医療関係で働く方も同じではないでしょうか。毎日同じことをきちっと手順を守ってやっている。エッセンシャルワーカーの方に感謝の拍手を、というのが一時期、ブームのようになりましたね。拍手もいいのだけれどまず待遇をちゃんとすることと、社会にとって不可欠な大事な仕事だという認識をみんなが持つことが重要だと思います。
玄田
医療関係といえば、岩手の釜石にお付き合いがあるお医者さんがいて、震災で変わったことを訊いたら、きっぱり「何も変わりません」と言われました。大変な時こそ普通に働くことが大事で、みんな普通にやってますって言われて、かっこいいなあと。命をかけてるんだけど、ご本人たちの心境としては、自分と仕事に誇りをもって普通にやっているだけだよ、という。
エンジニアリングな仕事にもブリコラージュな仕事にも、誇りややりがいを感じる瞬間がある。
玄田
そうです。何て言うんでしたか、手をポンと打つと頭の上に出たりするあのマーク…。
エクスクラメーションマークですか?
谷
ひらめきを表現するマークですね。
玄田
それです(笑)。漫画なんかだと「!」マークが出てピンポンって鳴りますよね。仕事って結局1日とか1週間とか1か月のうちに、何回ピンポンってその人の仕事の中で鳴ってるかがすべてじゃないかと。「あ、そっか! じゃあやってみようかな」「あ、そっか! まだこれはまずいな」と、「あ、そっか!」を積み重ねる。気づきのきっかけは思いがけないとこからきたりすると思うから、お互い刺激しあったりというのもいい。
刺激と言えば、リモートワークなどで人との接点が少なくなってしまっていることが気がかりです。
玄田
仕事の中で「あ、そっか!」が得にくくなっているとするとしんどいでしょうね。最近、個人的にストレスなのは「打ち上げ」ができないことです。打ち上げは「そうだったんだ!」というような話が、初めて聞けたりする場でもあるから。
「人とふれあうこと」を会社でしなくなってくると、どこですることになるのでしょう。
玄田
うーん家族かな、地域かな。ひとりでプロになることはできません。意図的にでも偶然でも仲介者は必要です。
谷
特定の技能の分野においてですが、給料をもらいながら実習もできるという、イギリスのアプレンティスシップ※8などは近いかもしれません。
仮に企業がこぞってジョブ型雇用に切り替え、完成された人材ばかりを求めるようになってしまったら、これからの若い人たちにとっては人とふれあって得られる成長機会が減ってしまうのではという危惧もあります。
玄田
若い人を相手にする時一番大事なのは、上手にだますこと。言い換えれば「その気にさせる」(笑)。「あの時は期待されたふりされて、うまくだまされたな」「あの時はあえて厳しいこと言われたんだな」って後からわかるものです。人を育てる時はいつも正直だけがいいってわけじゃない。例えば、ほんとにいい時しかいいねって褒めちゃダメだったら、いいねなんて言えない(笑)。ほんとは叱りたい時も、これ言っちゃおしまいよってことは言わずにグッとこらえて叱るでしょう。上の世代がだますのが下手になってると思うんですよ。若い人のほうが情報があって、こんなこと言ったらパワハラと言われるかもとか、そういう風潮が2000年代から強くなってきた。若い人って、「あ、本気になってきたな」とわかる時があって、そしてある時、突然「化ける」。希望を持っている人は家族から期待された経験があることが多いんですが、そういった周囲との関係が本人のやる気に影響を与えるということは家庭だけでなく職場や学校でも同じだと思います。それが組織の醍醐味だったし、その部分は変えちゃいけないような気がしますね。
残すべきメンバーシップ型のよいところですね。
玄田
最近はよくメンバーシップ型からジョブ型へという議論がありますが、周回遅れという感があります。
谷
働く人ではなくて、会社側、経営側の論理で言っているのも時代に合わないですね。
玄田
「ジョブ」が指す仕事内容の耐用年数が短くて、すぐにそのジョブ自体が要らなくなるということもあります。
谷
ジョブ型と同時にデジタル化もブームですが、これからはデジタルだと言っても、何年かしたらみんなの標準能力になるでしょう。で、その先どうするか? 良くも悪くも日本の一辺倒主義は不安だなという感じはします。
玄田
プログラミング用語からきているのだと思うけど、さらに小さな稼働単位のタスクというのも流行り言葉になってきている。「販売の仕事です」ではなく、やることを細かく切り分けてタスクとして明確化する。でもジョブもタスクもワークも、ごちゃごちゃだから面白い。その中でやっとうっすらと、タスクって何で、それをつなげたら自分のジョブになっていて、もしかしたら、これが自分のワークになるのかなみたいなことを試行錯誤してみて、結局わからなくて、また元に戻るとか、そういうのが楽しいと思うんですよ。だから、最初からジョブとかタスクとかって、あまり真剣に考え過ぎないほうがいいんじゃないかなと思います。
同感です。でも社会人になりたてはそのことを知らないので、自分の仕事はどこまでなのか、明確にしてくれたほうが安心するのかもしれません。教える側も、そのほうがラクだと思う方もいるのかもしれません。
玄田
ある部分今の世代には向いてるかもしれないですが、僕も古いんでチャップリンの『モダン・タイムス』※9に共感するところがあります。何が自分の仕事か考えなくていいからラクだし責任も明確だから叱られたりもしなくていいと思うけど…「なんか面白くないぞ」ってことにならないかが心配です。
谷さんや僕らくらいまでの世代は、子どもの時に中途半端はやめろ、ひとつのことに集中しなさいと言われてきました。とどめに「二兎追う者は一兎も得ず!」と怒られたりして(笑)。でもそれは成功モデルがあって、ある程度努力すれば実現できるって時は正論だったと思うんだけど、今はどのくらい説得力あるかな。大谷翔平選手のようにね、二刀流の時代なんだろうなって。本気で両方めざすと相乗効果がある気もする。
谷
会社にしても社会にしても、効率がよいものだから分業になってしまうところがあります。でも昔は上手下手はあってもみんな自分でやってたんです。魚も釣れば畑も耕し、身の回りのものは自分でつくる。そんな時代に戻れるかは別にして、自分の可能性を狭めよう狭めようっていう意味では『モダン・タイムス』のような世界はいかんよね、という思いはあります。
玄田
「ひとりキャンプ」って流行ってるでしょ。あれって何でもひとりでやらなきゃいけないんですよね。天候や状況が変わるとやることが変わってくるから、お互い知恵を共有しあったりね。ひとりで行くんだけど、ひとりキャンプですということでみんながつながっている(笑)。ああいうのは面白いなって思います。
今までの会社には、愛社精神といった言葉に代表されるようなtoo muchなタイトさがあって、それをつらいと思う人もいました。でもそれが緩みつつある。一方で、組織の求心力や社員の帰属意識が薄まって、個が寂しさを感じる時もあるのでは。
玄田
打ち上げも好きなんですが、一人で飲むのも好きなんです。だいぶ減ってきちゃったけど、地方の年配の夫婦がやってるような居酒屋で飲むのが最高の幸せで。「一人飲み友の会」というのをつくって会長ってことになっている(笑)。一人飲み友の会だから会の規則として集まらないということになっているんだけど、女性会員が増えていて。昔は一人で女性がカウンターで飲むなんて勇気が要ったけど、今関係ないでしょ。たまに偶然同席した知らない人とくだらない話なんかして、ちょっと笑って帰っていく。場の雰囲気をくずさない程度に出会いがある。
そういったゆるやかな絆の距離感にある人からの影響が、転職を成功させる条件のひとつになるということも言われていますね。
玄田
自分が知らない世界を持っている人との接点は、希望や幸運の源でもある。「一人飲み友の会」の会員が増えるのって、日本社会に悪くないと思いますよ。これからの会社も似たようなことが求められるようになるんじゃないかなと。
ゆるやかなつながりで補われる、絶妙なバランスということでしょうか。
玄田
バランス、ものすごく大事なんですが、学者が「バランスとりましょう」で終わりにしては逃げだと思うので、なるべく「バランス」という言葉を使わないように自分に課しています。バランスとろうとして逆にバランス悪くなってる人もいるし、バランスなんておかまいなしという顔をしてうまくいってる人もいる。ある瞬間、99%愛社精神の人になったっていいし、「こんな会社つぶれちまえ」と思う時もあってもいいし。その間でうまく揺れてる、もがいてる、それでいいんだと思うんです。
間で揺れて、もがく…。人間らしくていいなと思います。
人間らしさということでいうと、「どこで働くか」ということの重要性も高まっているように思えます。
谷
一部の仕事ではありますが、リモートワークができることがわかりました。タイムフリーでプレイスフリーの働き方を経験してしまうと、会社がまた「毎日出てこい」といっても働く側はそういう気分に戻りにくいところもありますよね。
玄田
空き家問題を考えてた時だったかな、職業は「何で稼ぐか」ということが一番大きいんでしょうけど、「ワーク&ハウジング」ということ、どうやってお金を稼ぐかとどこで暮らすのかはセットだなと思ったんです。働くことを考えることは人の営みを考えること。ワークとハウジングって別の話に見えて、じつは切っても切れない。暮らし方や住み方も、その人の職業の魅力を語るためには重要な要素です。
谷
日本はホワイトカラーに寄りすぎました。例えば腕のいい大工のような職業であればどこでも暮らせるし、仕事もできるでしょう。日本全体の労働力配置のバランスの悪さを、ゆるやかに解消していけたらよいのですが。
玄田
今は圧倒的に地方のほうが面白い。なんでかって考えると、自営感覚、Be my own bossって感覚があるからじゃないかと思う。都会の大学の同窓会だと、勤務先はどこそこという会社で、という話になりがちだけど、地方の小学校・中学校の同窓会だと「何それ?」って話を聞きたくなるような、自分が知らない面白そうな職業に就いてる人がいたりする。
谷
200年続く…というような家業を継ぐ人もいますね。自営業や家業といったものは地域に密着している部分がもともとあるのですが、ホワイトカラーの会社の論理だけでは見落としてしまいます。
玄田
都会と地方で分けたら乱暴なんだけど、人がたくさんいるとこって自慢合戦になりがちでしょう。でも地方に行けば行くほど、お互い失敗したことを笑い合えてるような感じがあって、そこが好きですね。
谷
玄田先生の話で思い出したのですが、電通総研フェローで元北海道テレビ放送社長の樋泉実さんに、「お祭りの意味」について教えてもらったことがあります。お祭りの時は、みんなが神社のまわりに集まってきて、どの家がどういう家族構成で、誰か病気だったり亡くなったりして出てこないとか、年に1回確認し合うという意味があるんだと。
玄田
なるほど。お祭りの意味、とってもよくわかります。
谷
うちの村には大工がいないとか、台風が来たらあの家を最初に逃がさないと大変だぞとか。人間社会のありのままの状況に気がつく。地方に住んでいると気がつかざるをえない。どこにいたって、本来は気づいた上で仕事もしなければいけないのでしょうが、遠距離通勤して、家では寝るだけという生活では、ありのままの人間社会から知らず知らずにずれてしまう。いっぺんには戻れないかもしれませんが、今後の社会を考える時、人間性を回復することが大事なんじゃないか。今日は玄田先生と話していてそういうことをすごく感じました。
そろそろ最後に近づいてきました。2021年に新社会人になる人たちに向けて、メッセージをいただいてもよいですか。
玄田
何のために仕事をするんだろう、と考えたりすると、よくわかんないんですよ、じつは。いいこともそんなにあるわけじゃない。でも仕事を通じてしか出会えない人がいて、仕事を通して舞い降りてきた幸運も確かにある。あるテレビ番組で聞いたことなのですが、「おいしい」という感覚は人間だけが持っているんだそうです。食べたら死ぬかもしれないという危険を察知するために、「苦い」という感覚を持ったのがスタートで、「これは苦いから危ない、ああ食べなくてよかった」というのが、「うっ苦い…死ぬかもしれない。でも死ななかったし、それにこれはうまい!」となって、人間はそれで「おいしい」という感覚を得た。
仕事も同じで、これはもう危ないと思ったらその時は逃げる。渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がありますが、先日テレビで桜木紫乃さんが「咲ける場所に逃げてもいい」ということもありますよねと言っていて、いいこと言うなあと。どこにいってもいろんなことがあるけど、それでもうちょっと先いけるかもって思えたら、働き甲斐、「苦楽(くるたの)しい」につながるんじゃないかと思うんです。
社会人1年目はただでさえ不安なものなのに、2021年はさらに先が読めない不安もあると思います。
玄田
若いうちは、壁にぶつかるもんだと思うんですよ。特に2021年はとても大きな壁で、そもそも就職の壁も高いかもしれない。壁にぶつかったら頑張って乗り越えることも大事だけど、一所懸命にね、ちゃんとウロウロしていれば壁そのものがなくなっちゃうこともあるし、ヘリで誰かが助けにきてくれることもある。とりあえず壁のまわりでウロウロしていることが大切。僕らが若い頃もそう言ってくれる先輩がいて、助けられたなという感覚もあります。
「安心を求めるなら、人事を尽くして天命を待つ」といったお話もいただきましたが、「ちゃんとウロウロする」というのは、起きうることをさまざまに想像してできることはした上で…ということですね。
谷
2020年も10月半ばに高卒予定者の就職試験が始まりましたが、大変だったようです。その時期に、ブライダル産業に就職するつもりだった青森の高校生が、求人がなくなって葬祭業に志望変更をした、というニュースを見ました。その高校生は、しょうがなくてではなく気持ちを切り替えて、世の中の役に立つためにやりますと言っていました。その状況を僕らから見て、大変だねとかかわいそうだとか言ったりするのは間違っているなと感じましたね。
玄田
その話はいい話ですね。ブライダルとお葬式は、入口と出口で反対に見えるけど同じですよね。いい結婚もいいお別れも、人生の節目を一生ものにできるような仕事だったら同じだ。そう思えたその子の選択は素晴らしいし、そういう若い人が出てくる世の中も捨てたものじゃない。どんな時代やどんな職業でも、大切なのは発想や見方の転換ができることなんでしょうね。
新社会人のみならず、私をはじめミドル世代にも響くメッセージでした。今日の対談では、働く人に多くの気づきをいただくことができました。ありがとうございました。
本対談はオンラインでおこない、写真はそれぞれ別の場所で撮影しました。
Text by Aki Kimura
Photographs by Ukyo Koreeda
東京大学社会科学研究所教授
1964年島根県生まれ。専門は労働経済学。無業者・不安定雇用者の研究、災害が雇用に与える影響に関する研究などを行う。2005年より「希望学」(希望の社会科学)研究のリーダーとして活動。『仕事のなかの曖昧な不安』でサントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞を受賞。『ジョブ・クリエイション』でエコノミスト賞受賞。希望学については『希望のつくり方』など。
1964年島根県生まれ。専門は労働経済学。無業者・不安定雇用者の研究、災害が雇用に与える影響に関する研究などを行う。2005年より「希望学」(希望の社会科学)研究のリーダーとして活動。『仕事のなかの曖昧な不安』でサントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞を受賞。『ジョブ・クリエイション』でエコノミスト賞受賞。希望学については『希望のつくり方』など。
電通総研所長・編集長
1956年愛知県稲沢市生まれ。1980年株式会社電通入社、1987年~93年に株式会社電通総研に出向。2019年4月『電通総研』所長。
1956年愛知県稲沢市生まれ。1980年株式会社電通入社、1987年~93年に株式会社電通総研に出向。2019年4月『電通総研』所長。
電通総研 研究主幹
東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科国際公法学修了(修士)。1990 年株式会社電通総研(当時)に入社。世界の人びとの意識や価値観の変化をふまえ、社会動向を分析・研究。訳書に『文化的進化論』(勁草書房)、共著書に『日本人の考え方 世界の人の考え方―世界価値観調査から見えるもの』(勁草書房)ほか。
東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科国際公法学修了(修士)。1990 年株式会社電通総研(当時)に入社。世界の人びとの意識や価値観の変化をふまえ、社会動向を分析・研究。訳書に『文化的進化論』(勁草書房)、共著書に『日本人の考え方 世界の人の考え方―世界価値観調査から見えるもの』(勁草書房)ほか。
電通総研アソシエイト・プロデューサー
東京都生まれ千葉県育ち。東京大学文学部歴史文化学科日本史学専修課程卒。TCC(東京コピーライターズクラブ)会員。2005年より電通、2020年2月より電通総研。主な研究テーマは次世代の教育と地域。
東京都生まれ千葉県育ち。東京大学文学部歴史文化学科日本史学専修課程卒。TCC(東京コピーライターズクラブ)会員。2005年より電通、2020年2月より電通総研。主な研究テーマは次世代の教育と地域。