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村田晶子氏・森脇健介氏・矢内琴江氏・弓削尚子氏
ジェンダーに関する身近な問題に気づくには
ジェンダーに関する身近な問題に気づくには
広井先生は、2019年9月に出版された著書『人口減少社会のデザイン※1』の中で、2050年に日本が持続可能となる未来シナリオを提言されていらっしゃいます。しかしその後、新型コロナウイルスの影響を受け、日本社会は一変してしまいました。改めて、私たちは2050年のゴールイメージをどのように描き、まず何から手を付けるべきでしょうか。
谷
広井先生の著書を再読しまして、改めて先生に問いかけてみたいことを申し上げます。まず、2020年初頭から、社会の最大の関心事が新型コロナウイルス感染対策ということになってしまい、先生のチームがAIシミュレーションを駆使して描き出した、日本社会のこれからのシナリオがフリーズしてしまったように思います。誰もが日本社会の課題を認識し、変革の道筋についての理解が深まってきていたのに、具体的な動きがいったん止まってしまった印象です。
広井
私は、「危機をチャンスに」という言葉がありますように、コロナはマイナスの面も非常に大きいわけですが、ひとつこれはチャンスに使えるのではないかと思っています。例えば、集中社会の問題というのが非常にあらわになって、“過度の密”には問題があり、非常に脆弱であるということが逆に示されました。AIシミュレーションの結果でも出ていた、「都市集中型」ではない「地方分散型社会」への移行の必要性や必然性が、人びとの間で認識されるようになりました。
谷
昨年も今年も、日本各地で大規模な自然災害が相次いでいます。世界規模の気候変動の影響がこれからも続きそうです。日本社会全体のレジリエンシー、回復力をどうしたら強くできるのだろうか。カーボンニュートラルへの投資も重要ですが、回復力が早くて、自立完結型で小回りの利く、まさに分散型社会にマッチしたインフラや技術開発が期待されるのではないかと、私も思います。
広井
はい。ただ、かといって私は、コロナで急速に分散型社会へ移行するかというと、それほど簡単なものではないと思っています。中長期的に起こる分散型社会への移行を加速させる一つの要因としてコロナがある、そんなふうに思っています。 今日もオンラインでの対談ですが、もしこれができなかったら、谷所長とお会いするのはもっと先だったかもしれない。つまり、オンラインが普及して、より自由度の高い分散型社会が可能になるという方向もありますので、いろいろな面でコロナをプラスに生かしていけないかというふうに思っています。
谷
二つ目のポイントは人口減少の加速です。電通総研の2020年12月の意識調査において“出生数が10年後どうなると思うか”という質問をしているのですが、「減り続ける」と回答した人が88.5%でした。現実には、ここにも新型コロナウイルスの影響があると思いますが、日本の出生数が大幅に減少していて、2021年は80万人を割るかもしれません。人口減少社会が目前に迫っている実感があります。
広井
実は、大学の授業で、学生に見せると驚かれるグラフがあるのですが、“女性の就業率、社会参加の度合い”と“出生率”を国際比較すると、正の相関があるんです。要するに、北欧に典型的に見られるような、女性の就業率が高い国々のほうが概して出生率も高い。よく“女性の社会進出が進むと出生率が下がる”という議論があり、過去には確かにそういう面もありました。しかし、男性も女性も、社会の中で活躍できて、家庭と仕事を両立できるような社会にしていくことが、結果的には出生率の改善、人口減少を是正することになる。
ここ数年、日本で出生率が一番低いのは東京都※2です。そして東京都は、実は専業主婦率が高いんですね。一方、九州や北陸は出生率が高く、女性の就業率も高い。ですから、認識を改めて、今よりも男女が等しく活躍できる社会にしていくことが、結果的に出生率の改善、人口減少に資するということ。
それから、少子化について意外に認識されていない点なのですが、実は結婚したカップルの子どもの数自体はそれほど減っていなくて、微減ぐらいなんです(2015年で1.94 ※3)。むしろ未婚化や晩婚化が急速に進んでいることが少子化の背景で、つまりいわばハードルは結婚の前にある。今の若い年代の人たちの生活や雇用が不安定であることが出生率低下、人口減少の大きな背景にあるということです。次世代における教育や雇用、住宅、移住など、いろいろな面で支援をしていくことが、人口減少の改善にもつながる。ここもしっかりと押さえておくべき点です。
谷
三つ目は、日本社会における「成長」の意味について、お伺いしたいと思います。日本の将来人口推計※4によると、2050年の人口は低位の予測では現在の1億2千万人強の約8割まで減ってしまうとされています。出生数減少のトレンドを考えるとその数字さえ下回る可能性もあります。2050年に、現在の8割の人口で現在のGDPを維持するだけでも、一人当たりGDPでは1万ドルぐらい積み上げないといけない。カーボンニュートラルやデジタル化という戦略はもちろん重要ですが、それによって経済成長のシナリオは描けるのでしょうか。人口減少によってさまざまな産業や行政サービスなどのダウンサイジングも起こるかもしれません。
広井
「適応策」と「改善策」という言葉がありますよね。「適応策」というのは、差し当たって人口減少が進んでいくのは避けられないので、それを踏まえた上での対応。一方、「改善策」は、人口減少自体を食い止めること。この「適応策」と「改善策」の両方を考えていく必要があると思いますけど、私としては「改善策」がかなり重要です。人口が減り続けるというのは、どう考えても問題で、出生率が2.0前後に改善して、定常化していく。これが日本もそうですし、世界レベルで見ても、大事な方向ではないかと思います。
谷
経済界では、生産性を向上すべきとよく言われます。でも実際には、正味の付加価値が増加していないのに、人件費などの固定費を抑えて、生産性の数字が上がって見えるケースもあると思います。先生がおっしゃった「適応策」と「改善策」でいうと、これは適応策であり、実は根本的な課題の解決を先送りしているだけなんじゃないかと思います。
広井
これは、今の日本社会の中心的な課題に関わることです。私の理解では、昭和の成功体験がとにかく圧倒的に強く、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われたので、“昭和的なやり方でやっていけばうまくいく”と思っている人が、まだ上の世代にはかなりいると思います。それこそ悪しきノルマ主義のような感じで、営業で100件回れとか、500件電話をかけまくれみたいな傾向が今もなお残っている。
この日本の昭和的な成功モデルというのは、山登りに例えると、まさに集団で一本の山道を登るというやり方で、ゴールもはっきりしています。要するに、ゴールを与えられて、そのために一番効率的なやり方を見出すということにさえ専念すればいい。
それが今は、むしろ「ゴールそのものをどういうふうにしていくか」とか「ゴールそのものを新たに創っていく」、そういう時代状況になっていますよね。私は、この辺をポジティブに考えればいい話だと思っています。
ポジティブに考える方法、ぜひ教えていただきたいです。
広井
先ほどの山登りの例えを続ければ、今はこれだけ物質的な豊かさも実現し、ある程度山頂に達したわけですから、いわば視界は360度開けている。あとは個人が伸び伸びと自分の好きなことをやって、創造性を伸ばしていく。それが結果として経済の活力にもなるし、持続可能性にもつながるということです。集団で一本の山道を登るやり方から解放されて、自由にやっていけばいいというのが、人口減少社会の、令和の時代だと思いますので、私からすると、むしろ非常にエキサイティングでもあり、面白い時代です。これは他の先進諸国を見ていても、実際そうなっていますので、発想の転換さえすれば、ポジティブに考えていける。
つまり人口減少社会というのは、これまでの人口増加の昭和的な時代とは全く逆の発想でやっていく社会。従来の延長ではない局面になっているんだということを踏まえて、いろいろなアクションを起こしていくことが大事なのではないかと思います。
谷
最近の岐阜県高山市周辺の電子地域通貨の事例を見ると、地元の人たちが、自分たちでいろいろと工夫しながら力を合わせてやっているような感じがするんですね。ビジネス拡大最優先ではなく、地域社会の持続可能性を大切にしている。銀行はこうでなきゃいけない、キャッシュレスはこうでなきゃいけないとか、そういうことにとらわれないで、自由に違う道を行くというか、山登りに例えるなら「こっちにも面白い山があるぞ」と。そして、それが一人一人にとって、地域と、自分の生活と、仕事を結び付けるきっかけになるんじゃないかとも感じます。
広井
私、ゼミの学生などを見ていて、ここ10年ぐらいの傾向として、若い年代の人たちのローカル志向が非常に顕著になっていると感じます。静岡のある町出身の学生が、自分のテーマは“自分が生まれ育った町を世界一住みやすい町にすることだ”とか、新潟出身の学生が“地元の農業を活性化したい”、あるいは、海外に関心があって留学していた学生が、実は日本の地域にこそ課題が山積しているし、可能性もたくさんあるということで、Iターン、Uターンしたり。これらは今の時代の流れを反映していると思います。
つまり、人口増加の時代は、良くも悪くも東京に向かって全てが流れるという時代でした。つまり人口や経済が拡大を続ける時代ということと、一極集中というのは表裏の関係にあったわけです。人口減少社会は、それとは逆のベクトルが進んでいくと考えるほうが自然です。学生にはあまり通じないんですが、昔「木綿のハンカチーフ」という歌がはやりました。
谷
私が大学に入学するため上京した頃の歌です。切ない思いの若者も多かった。
広井
そう。東京に全てが向かっていくという流れを象徴した歌でしたけど、時代は変わってきています。
ですから、谷所長がおっしゃるように、地域との結びつきというのは、私は「地域への着陸」と言うこともありますけれども、中心にだけ向かっていくようなベクトルが和らいで、分散的な方向が強まっていくという、時代の構造変化だと思います。
広井
また、日立京大ラボとの共同研究でおこなった、AIを活用した“日本社会が持続可能であるための未来シミュレーション”ですが、2050年に向けての日本社会の未来について2万通りのシミュレーションをおこなったところ、「都市集中型」よりも「地方分散型」のほうがパフォーマンスがいい、という結果が出ました。
ただ、実は正確に言うと「地方分散型」の中でも、単純な分散型というよりは、一定集中の要素を取り入れた「多極集中」の分散型社会が一番パフォーマンスが良かったのです。「極」が今よりもたくさんあって、ある程度、集約的なまちになっているイメージです。
谷
「多極集中」の分散型社会…多極とは日本でいうと、どのぐらいのイメージですか。
広井
それがまさにポイントです。そもそも、現在は一極集中かというと、実はそうではないのです。例えば、北から札幌・仙台・広島・福岡、この4都市は、人口増加率は東京圏並みか、特に福岡がそうですが東京圏以上に高いという状況です。しかも地価の上昇率も、昨年はコロナの影響で、東京圏を含めて軒並み下落したのにも関わらず、今申し上げた地方の4都市はむしろ上昇しています。ですから、今の日本の現状は、一極集中ではなく「少極集中」なんですね。そして今後は、これをさらに「少極」から「多極」へと移行させていくということ。
イメージでわかりやすいのは、ドイツです。ドイツはもともと分権的な社会ですけれども、人口数万、あるいは数千ぐらいの規模の都市、それから町や村であっても、中心部には、歩いて楽しめるような空間が広がっていて、かつ賑わいが保たれている。
多極集中の「極」というのは、大規模のものから小規模のものまで、それぞれ性格は違うにしても、かなり小さい「極」までを含んで多極集中というような姿です。
広井
それから今、リモートワークとかワーケーションといった動きもありますけど、これも分散型社会への移行として、今後どのように考えていくか、面白いテーマです。
谷
そういうワークスタイルは、仮にコロナが収まったとしても、続けたほうがいいのではないかと思います。東京であっても、大阪であっても、オフィスワーカーはまた満員電車で通勤しなきゃいけないんだという、そういう社会に戻ってしまうのは決して良くない。私も千葉から東京に随分通いましたけど、人生の中で一番無駄な時間って通勤時間だと思うのです。
広井
それはそうですね。私も千葉大に勤めていた20年間、千葉と東京を往復していました。
谷
片道1時間はかかりますからね。リモートワークであれば、通勤時間の2時間を、地域のために貢献するような時間に振り替えることもできます。それから企業や組織に勤める人というのは、企業や組織の文化に染まってしまうもので、逆に自分が住んでいる地域のことにすごく疎くなってしまう。ここが心の問題というか、地域にいろいろな人が住んでいるんだ、もちつもたれつなんだという感覚を鈍くさせてしまったところがあると思います。
広井
電通総研の調査でも、日本社会は「不安」が非常に顕著※5でしたよね。あと「今の生活を守ることに精いっぱい」が12か国で最多※6とか、本当に目先のことで精いっぱい。これだけ経済的、物質的に豊かである日本でも、今の生活を安定させることに精いっぱいというのは、精神的なものというか、要するに困ったときに助けてくれる人がいないといった不安が根っこにあるのではないでしょうか。
電通総研が実施した調査では「人びとが希望をもてる社会」へ向けて、「他者への寛容」「インクルージョン」が重要なキーワード※7であることがわかりました。
谷
新型コロナと向き合うなかで、残念ながら日本では、とかく他人を批判する風潮が現われているように思います。どうすれば他者への寛容、インクルージョン、相互信頼、そういう価値が大切だという意識が高まるのでしょうか。
先生の著書の中で、人と人の関係性の再構築や相互扶助の意識、要するに、ハードやシステムなどの社会インフラよりも、人びとの心のインフラの価値について言及されていることに、とても共感しています。
広井
それについて、例えば日本ファンドレイジング協会という興味深い団体があって、最近盛んになっているクラウドファンディングなどを通じて、寄付文化を日本で再興させようとしています。広がりも出てきていて、非常に希望のもてる動きだと思っているんです。
クラウドファンディングは、困っている人を支援するイメージが強いですが、新しいものが生まれたり、新しい市場を創るプラットフォームとしても注目されています。
広井
よく“日本には寄付文化がない”と言われるのですが、果たしてそうでしょうか。弁慶が読み上げた「勧進帳」ってありますよね。「勧進」というのは、お寺とかが寄付を募る行為なんです。それから、いわゆる「講」というのは、みんなでお金を定期的に出し合って、災害や病気のときにファンドからお金を得るという無尽講や頼母子講です。ハワイ出身の日系アメリカ人で、シカゴ大学の教授を長く務められたテツオ・ナジタさんは、こうした「相互扶助の経済」と呼べるような伝統や精神が日本社会には存在していて、それは明治維新以降、中央集権化が進むなかで忘れられていったが、そのいわばDNAは人びとの間になお脈々と受け継がれていて、それは災害が起こったときの活動などに顔を出したりする、と言っています。
谷
薬師寺の写経勧進は今も続いているようですね。「志納」という言い方もあります。最近は、クラウドファンディングで結構な支援金が集まるようなケースもあったりしますので、そういった日本人の気持ちは、消えてしまってはいないですよね。 Go Toトラベルキャンペーンは、「得だから行こう」という印象が強かったのですが、「感染を拡げない思いやりをもって、お客が減って困っている観光地や宿泊施設を助けに行こう」、そういう“義によって助太刀いたす”というようなキーワードが前面に出ると良いのではないかと思います。
広井
時々引き合いに出される、渋沢栄一の『論語と算盤』で言われる経済と倫理の一致とか、近江商人の「三方よし」的な、経済と相互扶助を一緒に捉える視点も再評価されるようになっています。もともと日本人はそういう視点をもっていたと思いますので、今またそれが注目されるのは“懐かしい未来”のような話で、これは昨今よく話題になるSDGsなどとも重なりますね。この辺も、今はチャンスというか、いい方向にいろいろな芽が出始めている状況ではないでしょうか。
相互扶助の視点で、次世代に希望をつなぐために、どういったことが必要だと思われますか?
広井
いろんな統計を見ると、50~60代以上の消費は伸びているのに、40代以下、特に若い年代の人たちの消費が伸びていない。今の日本でとても良くないのは、次世代にどんどん借金をツケ回していて、それが全体としての需要や、消費を低迷させている状況です。これも今回「次世代に、希望をつなごう」というテーマでとても強調したいところですね。
谷
電通総研が2020年11月におこなった「クオリティ・オブ・ソサエティ年次調査※8」で、「日本の社会保障についての安心」について聞いたところ「国民皆保険」や「医療水準」への安心のスコアが、2019年12月の調査と比べると、かなり大きく上がっていました。つまり、コロナ禍を経験して、多くの人が健康保険があって良かったとか、他の国に比べれば恵まれているんだと改めて気づいた、ということです。ただ、それはいいんだけれども、それがサステナブルな制度かどうかというと、先生がおっしゃるように、次世代に借金をツケ回してしまっているということ。これはどうやってほぐしていけばいいのでしょうか。
広井
私、この日本社会が直面している大きな課題については、かなり厄介だなと思っているんです。時間軸でいえば、2040年に高齢者の絶対数が最大になる。高齢化率、高齢者の割合がピークになるのは2060年ぐらいで、その時は高齢化率40%ぐらいです。これはもちろん世界一の高齢化率で、文字通り日本はその時まで“高齢化のトップランナー”を走り続けるわけです。その2040年か2060年まで乗り切れば、日本はハッピーな状態になると思っているので、そこまでの過渡期において、すでに1,200兆円に至っているツケ回しの部分を戻していかないと、次世代はどんどん疲弊していく。しかも、若い年代の人たちへの負担が出生率低下や人口減少にもつながるという悪循環に陥るので、ここは大事なポイントで、ほぐし方としては、二つのルートがあると思っています。
広井
一つは、公的なレベルの話で、負担を正面から問える政治家が出てくることです。実際、社会保障で年間120兆円以上使っているわけですから、お金が必要なことは確かです。その負担を、みんなで支え合う、家族を超えた支え合いをするのが税というしくみであり、社会保障なんだということを国民に呼びかけていくことが重要です。他の先進諸国もそうしているわけですね。概してヨーロッパは相対的に高福祉・高負担の社会を創っていて、一方アメリカは基本的に小さな政府志向が強く、いろいろ問題を抱えてはいますけれども、課題を先送りせずに、今の世代で、高福祉高負担なのか、低福祉低負担なのか、率直に議論しているのは非常にいいことです。そうした議論や意思決定をしないでツケを将来世代に回しているのが今の日本で、その辺の選択の議論をしていくことが何より大事だと思います。
もう一つは、民間のレベルで、若い年代の人たちにお金が回るしくみを創っていくことです。例えば半年ぐらい前に、大手の証券会社で働く30代くらいの方から相談をいただきました。その方は、証券会社の仕事をやっていくうちに、若い年代の人たちにお金が回るしくみの必要性を痛感する一方で、高齢者の中には、若い年代の人たちにお金を出してもいいと思っている人が結構いることに気がついたと。それで民間レベルで、高齢世代から次世代にお金が回るような、いろんなしくみを創っていきたいということで、証券会社を辞めて、大学院に入って、それでまた起業するというお話でした。このように民間レベルで、次世代にお金が回るさまざまなしくみを創っていくということが日本の未来にとって非常に重要だと思います。
なるほど。ただ、しくみを創るとなると、かなりの時間や労力が必要になりそうです。そういったしくみ創りへ向けて、まずは目先で重要になるのは、どういったことでしょうか。
広井
今日本で起こっている問題は、高度成長期の負の遺産がたくさん表れているものだと私は思っています。経済成長によって、やがて借金は解消できるからと思って、結果的にどんどん税負担を次世代に回している。それから高度成長期に地方から大量に移り住んだ当時の若い世代が現在は退職期を迎えて高齢世代となり、その結果、東京一極集中によって、首都圏の高齢化が急速に進んでいるわけですが、そうした首都圏の高齢者の介護ニーズに対応するために、全国の若い年代の人たちが吸い寄せられるように東京圏に集まる。これらはいわば高度成長期に起こったことが形を変えて現在に影響を及ぼしているわけです。
しかしその一方で、先ほど若い年代の人たちのローカル志向ということをお話ししましたように、最近の若い年代の人たちからは、地域の課題を改善したいとか、社会貢献とか、起業といったポジティブな動きがたくさん出てきており、つまり高度成長期のパラダイムから解放されて近年起こりつつある動きには、希望のもてるものが多く見られると思います。
電通総研も、2020年にリリースした『日本の潮流 SSXで創る「余力社会」という未来へ 実現に向けた20のKeywords※9』の中で、次世代の特徴を「貢献ネイティブ」というキーワードで取り上げました。
広井
集団で一本の山道を登る世界観から、個人の歩む道は多様であるという世界観に、今だんだんと移行しつつあります。
つまり目先では、高度成長期の負の遺産をできる限り除去しながら、若い年代の人たちの新しいポジティブな動きを阻害しないこと、さらにそれをさまざまな形で支援していくことが大事ではないかと思います。
また、若い年代の人たちは、サステナビリティやウェルビーイングをとても大切にしているように思います。
広井
私は「サステナビリティ」と、最近よく話題に出るようになった幸福のテーマ「ウェルビーイング」はこれからの時代のいわば車の両輪のようなものだと思っています。日経新聞もGDW(Gross Domestic Well-being)という新しい指標を提示しており、ウェルビーイングのことを取り上げる企業も増えています。とにかくGDPを大きくすればみんなハッピーになれるという時代から、サステナビリティと、幸福、ウェルビーイングをどう考えて求めていくかというふうに、世の中もかなり大きく変わってきていますね。
若い年代の人たちの新しい動きとして、具体的に表れ始めていることはありますか?
広井
ひとつ興味深いのは、マズローの5段階の欲求階層※10の一番上は「自己実現」ですけど、マズローは晩年に、自己実現の先には「自己超越」があると言うようになったんですね。自己超越というのは、個人を超えて、他者やコミュニティ、自然、ひいては宇宙、そういうところまでつながっていくこと。歴史的に見れば、自己実現は非常に近代的なコンセプトでしたが、今私たちは、近代後期というか、拡大成長から成熟の段階に入ろうとしているなかで、自己超越というものが特に浮かび上がってきているように思います。
自己超越というといささか観念的で、浮世離れした話のように響くかもしれませんが、必ずしもそうではありません。例えば再生エネルギーと農業を組み合わせた「ソーラーシェアリング」という事業をおこなう千葉エコ・エネルギーという会社を立ち上げた卒業生がいますが、彼などの話を聞いていると、“自分のことだけでなく社会に”といった、先ほどの自己超越に通じるような意識が感じられたりします。中には、“自己実現ではなく世界実現をやりたいんだ”と言う学生もいたりする。自己実現あるいは利潤拡大だけではなく、“何らかの形で社会や自然につながって、それで自分自身も充足する”、そういう人は増えてきているのではないかと感じます。
谷
私も「人間って何だろう」とか、「人間が構成している社会ってどうなんだろう」という本質を考える新しい知の流れというか、思潮のようなものが出てきている感じがしています。私たち古い世代の人間が、次世代がどうのこうの、といった話をするよりも、実際に、次世代の人たちがいろいろ考えて動いている印象は確かにあって、そういう動きが希望につながっていくといいなと思いますね。
広井
企業や経済界の動きを見ても、それこそSDGsであったり、資本主義のあり方のようなこと、サステナビリティやウェルビーイングなどについて、非常に活発に議論されるようになったことは、ここ数年のかなり大きな変化だと思っていて、いわば社会の潮目が大きく変わりつつある。
そういう意味では、希望を込めて言うと、日本は、変化は急ですけど、拡大・成長から人口減少とか、ポスト成長、そういった変化における世界のフロンティアのような立場にいますので、世界に先駆けて、そうした成熟社会の新しいビジョンを創っていくのが日本社会のミッションではないかと思います。
私たちは、サステナブルで希望がもてる社会へ向けて、2022年にどういった意識や行動を心掛けるべきでしょうか。
広井
私は、潮目の時代だと言いましたけど、限りない拡大・成長の時代から持続可能性に軸足を置いた社会への移行期というか、コロナもやがては収束するでしょうから、そういう出発といいますか、再スタートと言うべき年ではないかと思います。
谷
1987年に電通総研の初代所長に就いた天谷直弘さんは「イナーシャにとらわれていてはいけない」と、たびたび語られていました。イナーシャというのは、物理学の慣性の法則の「慣性」で、同じ方向に向かって力が働き続けようとする性質のことです。人間が地球の上にいると、地球が自転してもちゃんと立っていられるのもその原理なんだと思いますが、逆に、変革とか、習慣を改めることは、実はすごくエネルギーが要ることなんだと思います。天谷さんは経済一辺倒の時代の中で「変わらなくちゃ」と言っていた。それから30年以上たった今も私たちは「変わらなくちゃ」と言っている(苦笑)。
だから、まずはイナーシャにとらわれていることを自己認識して、変わることは大変なんだけど、自分たちの息子とか娘とか孫とか、次世代の人たちが、あんまり苦労しなくて済むような社会を残してあげるしかないなと思うんです。
広井
本当におっしゃる通りで「サステナビリティ」というと、まずは環境問題を連想するわけですけど、最初にサステナビリティという言葉が出たのは、『われら共有の未来(Our Common Future)』というタイトルの、1987年に出された国連のブルントラント委員会の報告書です。あの時、サステナビリティとは“次世代が、今の世代と同じような豊かさや権利を享受できること”と定義しています。つまりサステナビリティというコンセプトの中心にあるのは、次世代のことを考えるということなのです。私は、その点がもっと共有されるべきと思っていまして、谷所長がおっしゃっていることとまさに重なります。
谷
次世代を担う人たちが、なかなか子どもを産み育てる人生設計ができないのは、ある面では社会に進行している静かな革命のような感じもします。もっとみんな幸せで、自然に人間の営みが繰り返されていくことが望ましいのですが、今は、そういう意味でもターニングポイントなんだろうなという感じがしますね。
だから、私たちに何かできることがあるのであれば、アクションしなきゃいけないなと、ますます思っています。寄付やクラウドファンディングだけでなく、やれることは他にもたくさんあるかもしれません。
「次世代にバトンを渡す世代」の皆さんへ、メッセージをお願いします。
広井
私は今年還暦を迎えたので、逆に言いやすいといったら変なんですけど、日本の上の世代というか、高齢世代は、とにかく次世代に負担をツケ回さないことを最重要課題と考えていかなければならない。「次世代のことを、もっと考えることが大事だ」というのが上の世代へのメッセージです。
谷
山登りをしていると、高い山でなくても、小さな山だって、いろいろなことが起こるわけです。天気が悪くなったり、足をくじいたり。そういうときに、ちょこっと支えてあげられる山小屋のおやじのような、個人的にはそんな存在でありたいと思います。高度経済成長期を含めて、ある面で豊かさを享受してきた世代には、そういう心構えがあったほうがいいんだと思います。もうシェルパを務める体力はありませんからね(笑)。
「次世代」の皆さんへ、メッセージをお願いします。
広井
やはり今は、集団で一本の山道を登ってゴールを目指す時代ではないので、それぞれが自分の好きなことを見つけていくことが何より大事だと思います。
谷
今回の対談がきっかけで、広井先生と私はそれぞれ八ヶ岳に愛着があることがわかりました(笑)。若い世代の皆さんには、それぞれが、それぞれの好きな山に思い切り登ってほしいと思います。
※本対談はオンラインでおこない、写真は別途撮影いたしました。
Text by Koki Yoshida
Photographs by Masaharu Hatta
京都大学こころの未来研究センター教授
1961年岡山県岡山市生まれ。専攻は公共政策および科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱するとともに、社会保障や環境、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア、死生観等をめぐる哲学的考察まで幅広い活動をおこなう。著書『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で大佛次郎論壇賞を受賞。他に『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞、岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)、『無と意識の人類史』(東洋経済新報社)など。
1961年岡山県岡山市生まれ。専攻は公共政策および科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱するとともに、社会保障や環境、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア、死生観等をめぐる哲学的考察まで幅広い活動をおこなう。著書『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で大佛次郎論壇賞を受賞。他に『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞、岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)、『無と意識の人類史』(東洋経済新報社)など。
電通総研所長・編集長
1956年愛知県稲沢市生まれ。1980年株式会社電通入社、1987年~93年に株式会社電通総研に出向。2019年4月『電通総研』所長。
1956年愛知県稲沢市生まれ。1980年株式会社電通入社、1987年~93年に株式会社電通総研に出向。2019年4月『電通総研』所長。
電通総研アソシエイト・プロデューサー
1981年宮崎県日向市生まれ。2017年株式会社電通九州に入社、プロモーションデザイン局に所属。2020年2月より電通総研。主な活動テーマは少子高齢、人口減少社会における「地域」や「教育」のあり方。
1981年宮崎県日向市生まれ。2017年株式会社電通九州に入社、プロモーションデザイン局に所属。2020年2月より電通総研。主な活動テーマは少子高齢、人口減少社会における「地域」や「教育」のあり方。
※1 『人口減少社会のデザイン(2019.9)』(東洋経済新報社)-AIを活用した日立京大ラボとの共同研究において、日本社会の未来シミュレーションをおこない、望ましい未来に向けて必要となる政策について分析と提言をまとめた。