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村田晶子氏・森脇健介氏・矢内琴江氏・弓削尚子氏
ジェンダーに関する身近な問題に気づくには
ジェンダーに関する身近な問題に気づくには
2023年3月16日、電通総研はヒューマンルネッサンス研究所の中間真一氏を招き、クオリティ・オブ・ソサエティ(QoS)フォーラム「“SINIC理論”の未来観~Beyond the Transformation !」を開催いたしました。1970年にオムロン創業者が国際未来学会で発表した未来予測理論が、半世紀を経て、若い人たちや起業家たちに注目されています。
ヒューマンルネッサンス研究所はオムロン株式会社のグループ内の未来研究所で、オムロンの未来観の底流にあり、経営の羅針盤と位置づけられているのが、未来予測理論「SINIC理論」です。1970年に発表されましたが、「情報化社会」の入り口にあった当時、「21世紀に入った頃に大きな価値観の揺り戻しがくる」と予測しました。2005年から「最適化社会」で大きく変わり、2025年から「自律社会」になり、2033年には「自然社会」になっていく。そのような予測を理論化していたのです。
オムロンの創業者、立石一真はなぜ未来予測を必要としていたのか。当時、彼は「経営とは、未来を考えること」と言い切っています。1960年代の未来といえば、まさにアメリカでした。アメリカの企業経営者と話をしたり、現地でいろいろ見聞きしたりして「未来学」というものがあることを知りました。優れた経営者は「未来ビジョン」を描き、そこに経営の要諦を見出していることを感じとったのです。
しかし、いかにアイデアあふれるカリスマの予測であっても、金融機関や従業員は「ほんまかぁ?」と、会社の経営に不安を感じてしまいます。ステークホルダーの納得と共感を得る必要がありました。そこで理にかなった未来予測の必要を感じて、設立間もない中央研究所で理論の構築とともに最新鋭のコンピューターでシミュレーションした未来ダイアグラムを完成させました。
SINIC理論の三つの特徴ですが、まずは「科学」「技術」「社会」の三つの円環的な相互作用が社会進化を起こしている、というモデルです。そして、この三つのサーキュレーションを駆動するエンジンこそ「人間の意欲」だとする性善説に基づいた未来予測理論です。二つ目は、価値観の循環がスパイラル(らせん形)に進化していくのですが、「心か物か」「個か集団か」という二元論的な往還を、円柱ではなく円錐形でモデル化しているところにミソがあります。西洋的なシンギュラリティのエクスポネンシャル(指数関数的)な成長とは一線を画して未来を考えているのです。人類史100万年前から出発し、2033年に社会進化が一周終わる壮大なシミュレーションです。
三つ目は、社会を生物の個体群と同じように「急上昇してもどこかで飽和する点がくる」というS字型のロジスティック曲線(成熟曲線)で考えていることです。100万年前から2033年までは「経済」を社会発展の指標とする成熟プロセスとして考えてきましたが、それで終わるのではなく、その先も次の社会発展指標で新たな発展周期が始まるという考え方です。社会発展の飽和点は、シミュレーション結果から21世紀の前半と予測されました。そこで、オムロン創業から100年となる2033年を予測のゴール時点に設定して「企業経営100年の計を立てた」という見方をしています。
オムロンは戦火を避けて京都に本社工場を移したこともあり、未来学を提唱した梅棹忠夫先生※1や桑原武夫先生※2、加藤秀俊先生※3など、いわゆる京都学派の系譜に位置づくような自由の学風の中で研究されていた優れた先生たちとのやりとりもありました。仏教や禅の世界にも通じる東洋思想の規範的な部分と、サイバネティクス※4という当時の科学技術の最前線の影響も受けて、伝統と先端の京都文化を背景にSINIC理論は完成しています。
ここ数年のVUCAの時代の渦中で、国内外から「SINIC理論は、50年前の未来予測とは思えないほど、今を言い当てて、未来を示している」という評判が高まっているようで、特にスタートアップの若手が、SINIC理論の未来観にとても高い関心と共感を示してくれているのも大きな特徴です。
※1 梅棹忠夫(1920-2010年):民族学者、文化人類学者。京都市出身、京都帝国大学理学部卒。国立民族学博物館初代館長。1991年文化功労者、1994年文化勲章。著書に『知的生産の技術』(岩波新書)など。
※2 桑原武夫(1904-1988年):フランス文学者、評論家。京都大学教授、同人文科学研究所所長。1987年文化勲章。
※3 加藤秀俊(1930年-):社会学者。東京商科大学(現・一橋大学)卒業。京都大学人文科学研究所助手、同教育学部助教授を経て、国立放送教育開発センター所長、国際交流基金日本語国際センター所長、日本育英会会長などを歴任。
※4 サイバネティクス(cybernetics):1947年にアメリカの数学者ノーバート・ウィーナーによって提唱された学問分野。ギリシア語の「船舶操縦術・舵とり」に由来し、生物と機械における通信や制御、情報処理を扱う総合科学とされている。
――超長期の経営ビジョンと思いました。欧米系のグローバル企業でも100年単位の長期ビジョンを描くことがあります。オムロンはその先駆けと捉えることはできるのでしょうか?
「他の会社が100年ビジョンを持っているから」とか「それを超えてやろう」ということは未来予測理論を作成した動機ではなかったはずです。1960年代当時の経済状況ですから、大手メーカーの部品サプライヤーとしても経営的には成長可能でした。しかし立石はより自立した経営を目指した。そのためには当面の「情報化社会」だけを見通して、コンピュータライゼーションを追いかけるのだけでは足りません。創業者の頭は常にアイデアにあふれていて、当時からキャッシュレス社会になることなども予測していました。とにかく、競うよりも、見えていた未来を先駆けて実現し、よりよい社会をつくりたかったのです。そのためには10年~20年の直近の歴史を延ばす程度ではなく、人類史のたどってきたプロセスや、西洋一辺倒でなく東洋思想的な世界観も踏まえて未来を見通す必要があると考えたのです。そこから、「輪廻」のようなスパイラルな進化理論が出てきました。その結果、100万年前からの進化の1周期が21世紀中盤までに完結するというシミュレーション結果が出たので、(たまたま)100年の計にも重なったのだと思います。
――確かに本日のお話は「ひとつの企業の100年の計」ではなく、それをはるかに超えた「100万年単位での社会の進化」でした。その大きな視座は「京都」という伝統的な地域性も関係していますか?京都はオムロンさんはじめ、長寿の優良企業が多いことで知られています。
私も仕事柄、京都企業の競争力についてよく議論しますが諸説あります。私は、京都の強みは「都(みやこ)の強み」だと思います。都というのは、ずっと同じ人たちが居続けているのではなく、外側の地との間、新と旧の間で出入りを繰り返して、都の文化の動的平衡を維持している。「都で一発当ててやろう」という気持ちで入ってくる人びとに「やってみなはれ」と言える寛容さがある。だから、常にイノベーションとチャレンジが繰り返され、不易流行、適者生存の舞台となる。そして、地理的規模もちょうどいいサイズです。東京は大き過ぎて、どこまでが都なのかわからない。そうなると、ヒエラルキーも生まれたりします。京都はフラットなチャレンジの舞台として、その要件を満たしていたのではないでしょうか。
――日本は「失われた30年」といわれるように、勢いと自信を失っているところがありそうです。そこで京都に限らず「日本ならでは」というところで何かヒントはありますか。
先ほど触れましたがシンギュラリティなどの欧米発のトレンドにあたふた振り回されなくていいと思います。未来学関係のフューチャリストが集まるアメリカのカンファレンスなどに行くと、日本人よりも彼らのほうがSINIC理論に強烈に食いついてきます。その一番の理由は、サーキュレーション、スパイラルの考え方です。「リニア(直線的)ではなくスパイラル」というところに「この発想が必要だ!」という話で盛り上がることが少なくありません。
その根本には、東洋思想があります。当時のオムロンの中央研究所所長も禅の世界に深く通じていた人でしたが、「和の文化に自信を持って、それで経営を考えていくことの正しさ」への自負があったはずだと察します。「エクスポネンシャルからサーキュラーへの進化は東洋思想に大きなヒントあり」ではないかと思います。
――「立石一真さんが持っていたような東洋的な長期視点は、もう既に日本の人びとの中にある」というメッセージと受け取りました。「スパイラル」は東洋特有の考え方でしょうか?
私個人の印象ですが、欧米の人たちはリニアに考えたがり、それがデフォルトという感じがあります。リニアというか、エクスポネンシャルというか。「戻ってくる」という指向性は、あまり彼らからは聞きません。先日、野中郁次郎先生※5の弟子筋の西原文乃先生にお会いしてお話をしたのですが、SECIモデル※6、あれはスパイラルですよね。だからこそ世界に通じる経営論のところには出てくるのだと思います。何でも「日本型」とか「日本的」とか言うのはよくないのですが、何が何でも欧米スタンダードというフォロワー根性から抜け出すためにも、ちょうど今からの未来を見通すには、東洋思想の見直しからの社会システム発想は大切だと思います。
――「日本が忘れていたものが、実は」ということかもしれません。非常に勉強になります。ありがとうございました。
※5 野中郁次郎(1935年-):経営学者。一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授。知識創造理論を世界に広めた。2013年にもっとも影響のある経営思想家50人を選ぶThinkers50のLifetime Achievement Award(生涯業績賞、功労賞)を受賞。
※6 SECI(セキ)モデル:1995年『知識創造企業』(邦訳は翌年、東洋経済新報社)で野中郁次郎と竹内弘高が提唱した組織における知識創造モデル。個人が持つ暗黙的な知識(暗黙知)は、「共同化」(Socialization)、「表出化」(Externalization)、「連結化」(Combination)、「内面化」(Internalization)という4つのプロセスを通じて、組織の共有の知識(形式知)となるとした。更に2019年『ワイズカンパニー』(邦訳は翌年、東洋経済新報社)では「SECIスパイラル」が提示され、知識創造ではSECIの循環が繰り返されて、個人、組織、組織間、コミュニティ、社会へと高次に上昇して広がっていくとした。
Text by Fumito Nitto
Photographs by Kazuo Ito
株式会社ヒューマンルネッサンス研究所(HRI)エグゼクティブ・フェロー
慶応義塾大学工学部卒業、埼玉大学大学院(経済学)修了。HRI創設メンバーとして参画し「SINIC理論」を生かした未来社会研究に従事して現在に至る。著書に『SINIC理論~過去半世紀を言い当て、来たる半世紀を予測するオムロンの未来学』(日本能率協会マネジメントセンター)など。
慶応義塾大学工学部卒業、埼玉大学大学院(経済学)修了。HRI創設メンバーとして参画し「SINIC理論」を生かした未来社会研究に従事して現在に至る。著書に『SINIC理論~過去半世紀を言い当て、来たる半世紀を予測するオムロンの未来学』(日本能率協会マネジメントセンター)など。