電通総研

JP EN
「クオリティ・オブ・ソサエティ」レポート
こちらは2023年までの電通総研が公開した調査関連のレポートです。過去のレポート記事は、以下のリンクからご覧いただけます。毎年掲げるテーマに即した、有識者との対談、調査結果、海外事例、キーワードなどがまとめられています。
パイオニアの原点|坂村健氏
世界シェア約6割を占めるOSを生んだIoTのパイオニア

電通総研は「社会や未来のために活動する人びと」に焦点を当て、活動の原点を探る企画「パイオニアの原点」を開始いたします。第1回目として、日本発の機器用リアルタイム・オペレーティング・システム(OS)である「TRON(トロン)」開発のプロジェクトリーダー、坂村健氏にインタビューし、グローバルに活用されるOSを手がけた原点に迫りました。

聞き手:川村 健一、合原 兆二 

新たなレースが始まった

――近年、日本からGAFAMのような企業が誕生しておらず、とりわけIT分野に関して非常に遅れているという実感があります。世界のスタンダードをつくり上げた坂村さんからみて、日本からイノベーションが生まれない点をどのように考えますか?

イノベーションといえば、思い出すのがロボット掃除機です。実はある日本のメーカーでも、その商品が登場するかなり前から同様の機能をもった掃除機を製品化できる段階になっていたと聞きました。会議で「もし仏壇にぶつかってロウソクを倒し、火事になったら誰が責任をとるのか」という話が出て、結局中止になったとか。

高速道路で使われているETC(Electronic Toll Collection System)は日本発の技術で、時速80キロくらいでも動作する高いリアルタイム性を有するシステムです。シンガポールではERP(Electronic Road Pricing)という名前で運用しています。シンガポールでは道路交通法で自動車にERPを付けることを義務づけたために無人で運用できていますが、日本では「付けても付けなくてもよい」ことになりました。結果、料金所が必要になり、確認が済むまでは通行できなくする自動ゲートのしくみが導入されたために、ゲートの直前では減速しなければいけなくなり、日本発の技術を国内で生かしきれないことになりました。

蒸気自動車が生まれた頃のイギリスに目を向けると「赤旗法(Red Flag Act)」がありました。イギリスの公道における自動車の運用方法について定めた法律です。自動車が従来の馬車の安全を阻害するとして、車の数メートル先で旗を持って人が先導し、市内では時速3キロ程度(市外では時速6キロ強)に制限していました。結果的にイギリスにおける自動車産業の発達を妨げ、ドイツやフランスに後れをとることになりました。

これらの例を通して「新しい技術が出たときに“危険は禁止”という発想でいると著しく生産性を下げてしまう」という教訓がみえてきます。技術のメリットを最大化するためには正しい考え方や制度が必要なのです。日本人はリスクに対して過剰に反応し自主規制に走ってしまう傾向にあります。変化の早いインターネット時代の考え方は「ベストエフォート」――オープンだからこそ責任分界点を決め、自分の責任とつながる人の責任を定める。そしてその取り決めに従い最大に努力することが責任を果たすということです。「絶対安全」や「絶対大丈夫」などということは、複雑化した現代社会においては捨てなければいけません。

例えば道路交通システムにしても100%安全ということは無理ですよね。そのために道路交通法といった法律や自賠責保険のような保険のメカニズムで支えることで自動車社会を実現しています。日本でよく間違えてしまうのは「技術絶対主義」になることです。絶対に安全な技術は、これから100年後であろうと、1000年後であろうとないでしょう。宇宙のメカニズム、生物の進化、世の中の動き、人間の身体そのものも、偶然の積み重ねによって確率的に動いているわけであり、「絶対」といったものはありません。そこに気がつくと、技術と、技術を補う制度とを合わせることで社会システムをつくっていく必要があるという結論になるわけです。

世界はすでにここに気がついており「技術開発のレース」から「制度開発のレース」に動いています。日本に足りないのは技術に対する考え方や社会制度の再設計なのです。しかもそれは新しい技術に基づいたものにすべきだということを、再認識する必要があるのではないでしょうか。

イノベーションのブレイクスルーをいかに起こすのか?

――イノベーションを促すために、必要な考え方があればお聞かせいただけますか?

昨今の生成AIに関して、その力を疑う人は少ないと思います。AIがここまでの精度になった背景にはニューラルネットワークの進化がベースにあります。AIは幾度となく冬の時代を経てきました。ニューラルネットワークも当初は将来がないと思われていた中、カナダ先端研究機構(CIFAR)がトロント大学のヒントン教授らの研究計画に対し2004年から支援を始め、ディープラーニングを生みました。とはいえ研究者30人ほどに対し毎年40万カナダドルというから、1人当たり140万円※1くらい。研究予算としては決して多くはないですよね。しかし、CIFARの支援はディープラーニングだけでなく、ノーベル賞受賞者を次々と生み出すことにつながっている。予算対効果としては非常に優れた組織だといえるのではないでしょうか。

米国のこの種の先端研究支援機構である国防高等研究計画局(DARPA)は毎年数千億円規模の予算をもちますが、ブレイクスルーに関しては予算の多寡でなく「成功させるコツは、少し足りないくらいの資金を長期にわたり支援すること」だとプロジェクト管理の経験者が述べています。

日本政府は100億円規模の予算で「理化学研究所 革新知能統合研究センター」を支援するといいます。確かにブレイクスルーした後なら成果はみえやすいのですが、「選択と集中」で大型予算だけにしてしまうと、次のブレイクスルーは生まれなくなります。イノベーションを生むのはチャレンジの多さのみ。ブレイクスルーはいつどこで起こるか予想がつかないからです。広く薄く気長な研究予算の「バラマキ」も、何が「化ける」のかわからない研究の世界では、未来への投資として非常に意味があるわけです。

今やイノベーションは進化論の世界です。成功は1000回に数回ともいわれ、投下資本の大小を含め、イノベーションを達成する確実な手段など存在しないのです。重要なのはチャレンジの多さだけ。そしてAIが人間に最後まで勝てないのがイノベーションです。やるべきことの最適化はAIにできても、何をやりたいかを見つけることは、人生や欲望をもたないAIにはできないからです。

(※1) 2023年12月12日現在

成長を生んだ時代背景

――戦後、日本は急速な発展を遂げ、世界を席巻する勢いがあったように思いますが、当時はなぜ急成長できたのでしょうか?

日本の強みといえば「高い品質」を挙げる方が多いと思います。実は日本経済の躍進を支えていたのは時代背景も重要な要素でした。日本は第2次世界大戦に負けた後、憲法で戦争を放棄すると決めました。ところが世界をみると、第2次世界大戦が終わった途端に朝鮮戦争が始まった。その後38度線ができて停戦し、戦争のない時代になるかと思った矢先、今度はベトナム戦争が始まった。世界をみるとロシアとウクライナのような地域戦争が絶えることなく続いています。

日本は憲法があって武力行使はできない。一方で戦争に伴い多くの需要が生じ、トラックなどの車両関係や繊維製品、食料等が飛ぶように売れました。今のウクライナとロシアをみていてもわかるように、戦争の当事国というのは生産まで十分に手が回らなくなってしまいます。当時のアメリカも同じで、日本の後方支援があると助かったわけです。このように朝鮮戦争、ベトナム戦争という背景があって日本に高度成長が訪れた。そして戦争が終わるとアメリカが怒り出し、バブルが弾けたわけです。

日本が高い品質を安価に提供することで世界を席巻したのは事実ですが、実はこうした時代背景があったことを忘れてはいけません。現代社会は自国のみで完結できるものではなく、世界はオープンにつながっています。2022年の軍需産業の最大企業100社による武器や軍事サービスの売上総額でも約6000億ドル。それに対して、GAFAMのうちのある企業1社の売上だけで約4000億ドルです。ロシアが始めたことによってヨーロッパの経済が大打撃を受けたように、いまや戦争というのは割に合わないものというのがはっきりしました。今の私たちに必要なのは、平時において、オープンなつながりの中でいかに価値提供をするかという視点にあるのはないでしょうか。

「TRONプロジェクト」の始まり

――坂村さんがTRONをつくれたのはなぜなのでしょうか?

早い段階でマイクロコンピュータの可能性に気づけたことが大きなポイントだったように思います。

コンピュータの歴史を振り返ると、1951年に、米国の会社が最初の商用コンピュータをつくって、大型コンピュータのマーケットが生まれました。ところが、10年もたたないうちに別の会社が出てきてシェアを完全に奪ってしまった。1960年代は大型コンピュータが主役の時代でした。

60年代の終わりから70年代にかけてマイクロプロセッサが出てきた。すると、コンピュータのトレンドが大型コンピュータから次第に個人向けPC(パーソナルコンピュータ)に変わっていき、大型コンピュータを強みとしていた会社は徐々に傾き始めました。

ところが、日本は大型コンピュータがやっとビジネスになり、そちらで盛り上がっていたということもあり、マイクロコンピュータで新しい世界を切り開こうというムードではなかった。当時の日本は官民挙げて「メインフレーム」と呼ばれる大型コンピュータ一辺倒でしたから。

私が「マイクロコンピュータは将来につながる重要な分野だ。産業的影響力が出てから動き始めても手遅れだ」といくら言っても、半導体関係の人を除いて興味を示す人は少なかった。それでも私には、いずれあらゆるところにコンピュータがあり、それらがネットワークでつながる時代が来るという確信がありました。だから「それなら自分でやろう。マイクロコンピュータが進化した世界を想定して、それに向かっていこう」と考えたのです。

当時、日本の主要メーカーの多くは、ハードウエア中心の研究開発を志向していました。しかし私は、ソフトウエアのほうがこの先重要になると考えていました。というのは当時の米国のベンチャーもそうだったのですが、大きな設備投資をしなくてもイノベーションを起こせる可能性としてコンピュータのソフトウエアに注目しており、「高額な大型コンピュータと同じことを個人所有のコンピュータで」というキャッチフレーズのもと、多くの試みが始まっていたのです。

そういったソフトウエア開発を活性化する環境を考えた場合、標準化が重要になります。しかも、その基礎の部分でどこかが独占するのは望ましくなく、標準仕様をつくりオープンにしようと考えました。ただし、私が考えていたのは情報処理用ではなく、モノの中にいれて機械を制御するようなコンピュータ。だから、このシステムで大事なのは、リアルタイムでソフトウエアを動かすというしくみです。そのため名前を「The Real-time Operating system Nucleus」とした。頭文字をとれば「TRON」。それが「TRONプロジェクト」の始まりでした。

パイオニアになる近道とは?

――これからの社会や未来のために活動するパイオニアに対して一言お願いします。

今の世の中、新しいことを始めるのは困難が多いと思います。変化に対して保守的な国民性、既得権益が力をもちすぎていること、しくみがなかなか変わらない等、原因はたくさんあります。しくみという面では、10代とか20代で成功している世界というと、例えばスポーツはしっかりしています。しかし学業とか、ベンチャーカンパニーをつくるとか、そういう領域の場合は「誰もやっていないこと」を本気でやらない限り非常に厳しいと思います。

アドバイスとしては「最後までめげるな」としか言いようがありません。とにかく、どんなことがあっても頑張ること。自分のことを振り返っても、私は運がよかった。人並みに努力もしたし、できることは全部やった。それでも結構な逆風にさらされたこともありました。最後は運がよかったとしか言いようがありませんが、それはめげずに続けて来たからの結果です。なにしろコンピュータの世界で40年も続いているプロジェクトというのは、日本では他にないと思います。

もう一つ挙げるとするなら、若いうちに「世界をみる」というのはあるかもしれません。世界で若いうちに成功している人たちは、狭い殻に閉じこもることなく、国、文化、価値観、人種、状況等、とにかく多様でオープンな世界で活動しています。目を広く世界に向けて、いろんな人がいて、いろんな考え方が世の中にあるということを早いうちに自分ごと化した方がよいと思います。今はインターネットがあるし、世界を知るための状況が整ってきています。運をつかむための最大の近道は、明日からではなく、今から自分の力で一歩を踏み出すことです。

Text by Ken-ichi Kawamura
Photographs by Kazuo Ito

参考文献: 坂村健『イノベーションはいかに起こすか AI・IoT時代の社会革新』(NHK出版新書、2020年)



坂村健 さかむら・けん

東洋⼤学情報連携学部(INIAD)学部⻑、東京⼤学名誉教授、⼯学博⼠

家電製品や⾞のエンジンなどへの組み込みOSとして世界シェア通信6割を誇る“TRON”の設計者。現在、コンピュータが組み込まれた⾝の回りのモノ同⼠がお互いに連携するシステムの実現のため研究を推進。 2015年、ITU(国際電気連合) 創設150周年を記念して、情報通信技術のイノベーションを通じて、 世界中の⼈びとの⽣活向上に多⼤な功績のあった世界の6⼈の中の1⼈として選ばれた。2022年には、IEEE(国際的な電気・情報工学分野の学術研究団体、技術標準化機関)から、家電技術への貢献に対し送られる「IEEE井深大コンシューマー・テクノロジー賞」を受賞、また2023年には「TRONリアルタイムOS ファミリー」が、電気・電子・情報技術やその関連分野の歴史的偉業に対して行う顕彰「IEEEマイルストーン」に認定された。

家電製品や⾞のエンジンなどへの組み込みOSとして世界シェア通信6割を誇る“TRON”の設計者。現在、コンピュータが組み込まれた⾝の回りのモノ同⼠がお互いに連携するシステムの実現のため研究を推進。 2015年、ITU(国際電気連合) 創設150周年を記念して、情報通信技術のイノベーションを通じて、 世界中の⼈びとの⽣活向上に多⼤な功績のあった世界の6⼈の中の1⼈として選ばれた。2022年には、IEEE(国際的な電気・情報工学分野の学術研究団体、技術標準化機関)から、家電技術への貢献に対し送られる「IEEE井深大コンシューマー・テクノロジー賞」を受賞、また2023年には「TRONリアルタイムOS ファミリー」が、電気・電子・情報技術やその関連分野の歴史的偉業に対して行う顕彰「IEEEマイルストーン」に認定された。

川村健一 かわむら・けんいち

電通総研 プロデューサー/研究員

埼玉県生まれ。2023年1月より電通総研。クリエイティブディレクター、クリエイティブテクノロジスト、アートディレクター、デザイナー、ビジュアルアーティスト等のキャリアを活かし、「アート」「イノベーション」「次世代」などをテーマに活動。著書に『ビジュアルクリエイターのためのTOUCHDESIGNERバイブル』(2020年、誠文堂新光社)がある。

埼玉県生まれ。2023年1月より電通総研。クリエイティブディレクター、クリエイティブテクノロジスト、アートディレクター、デザイナー、ビジュアルアーティスト等のキャリアを活かし、「アート」「イノベーション」「次世代」などをテーマに活動。著書に『ビジュアルクリエイターのためのTOUCHDESIGNERバイブル』(2020年、誠文堂新光社)がある。

合原兆二 ごうばる・ちょうじ

電通総研 プロデューサー/研究員

1990年、大分県日田市生まれ。中央大学商学部卒業後、2013年、株式会社電通九州に入社。福岡本社営業局、北九州支社を経て、2022年4月より電通総研。各種調査のほか、「地域」「メディア」「持続可能な食文化」などをテーマに活動。

1990年、大分県日田市生まれ。中央大学商学部卒業後、2013年、株式会社電通九州に入社。福岡本社営業局、北九州支社を経て、2022年4月より電通総研。各種調査のほか、「地域」「メディア」「持続可能な食文化」などをテーマに活動。